こどおじ予備軍から見た「こどおじ問題」について思ったこと。
令和元年最初の社会問題とも言えそうな「こどおじ問題」
日々ニュースなどで目にする内容ですよね。
そんなニュースを見た、こどおじ予備軍のフリーターの私が見て思ったことをここに書き残そうと思います。
多くを語るうえでは、いずれ私自身についても書かないといけないとは思いますが、それはまたの機会にします。短くまとめると、私はうつ病の診断を受けて数年の療養後、フリーター生活をしながら仕事を探している者です。
まずは、「こどおじ側」を見て思ったこと。
親に暴言や暴力というのは、私自身理解はできませんね。罪悪感はあれど逆切れするのはお門違いと思えるのはまだ予備軍だからなのか。自分のせいとわかっていても、誰かのせいにしてしまったほうが簡単ですもんね。ただ、そうなるまでの過程で、個人の葛藤というのはあったと思います。
私自身、仕事選びで失敗をして病院送りになったわけですが、一度そういった体験をすると、恐怖心が芽生え、次は失敗ができないという恐怖心
「時間は限られている。」
「失敗を恐れていても変わらない」
頭のどこかでは考えていても、ベストアンサーを探そうとし続ける。
正解を探し続けるが故に、時間切れになるという大失敗を犯す。
私の場合、そこに「数年、10年後の将来」も加えて探していたから余計な首を絞めていました。この問題は十年経っても変わらず解消されたままなのか?といった具合に。
先の未来なんてわからないし、終身雇用制度は終了のお知らせなのだから、今が一番大事だ!と考えられるほど割り切れたら、既にどこかで正社員として社会復帰をしていたのだと思う。
残念ながら、そこまでの領域にはまだ達していないので、恐れながらも、自己啓発本でも友人の意見でも何でも良い。やるしかないと自身に言い聞かせながら不安と戦う日々を送っています。
ここで、こどおじのニュースと一緒に挙がってくる「無敵の人」というワードについて
全てを割り切って、他人に笑われようが楽しく生きていける人
全てを諦めて、失うものがないからと自殺や犯罪をする人
どちらも無敵の人だと思います。
前者は、生活できているのか?というような給与でも楽しそうな人っていますよね。後者は、今回はニュースで取り上げられはしたものの、以前から起きていた事だと思います。遅かれ早かれ向き合わないといけない社会問題だと思います。
窮鼠猫を嚙むではないですけど、自殺って凄いエネルギーがいると個人的には思うのですよ。ましてや、今回なんて事前から計画を練った犯行だったわけで。私にはとてもできません。命を絶つ位なら、苦手なことでもできるのでは?と思いました。
次は「メディア側」で思ったこと。
これは視聴者側が以前から気をつけておかないといけない事だと思うが、数字さえ取れたら良いという理由からか、多少話を盛ったり事実と異なる載せ方をしていたりするので、鵜呑みをしないことが大切だ。今回の事件にしてもフラットな情報を届けられていたかというとそうではないと思う。
結果的に、不安や煽りによって第二、第三の事件の引き金になっている気がしてならない。
また、コメンテーターの意見を聞いていても、まるで腫れ物扱い。不発弾を取り扱うかのような対応をしていた。予備軍の私でもそれはかえって傷つくだろと思った位だから、同じ考えを持った人もいたかもしれない。
言葉や伝え方は難しいと思うが、ニュースなどを提供をする側は、事実に個人の感情を入れるのは良くないと感じました。
ここまで感想を書きましたが、私自身に言い聞かせている所もあります。次回はもっと明るいテーマをお届けできたらと思います。長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。